上杉昇がWANDS脱退した本当の理由!35年後に語った葛藤と現在

「世界が終るまでは…」「もっと強く抱きしめたなら」「時の扉」——90年代前半、CDチャートを席巻したバンド「WANDS(ワンズ)」の初代ボーカル・上杉昇さんが、2026年のデビュー35周年を機に、人気絶頂で脱退を決断した当時の葛藤を語りました。当時から長年の謎だった「なぜ突然いなくなったのか」に、35年の時を経てようやく答えが明かされています。

上杉昇がWANDS脱退の葛藤を語る!35年目の告白

2026年4月、AERAのインタビューで上杉昇さんは当時の心境を率直に語りました。華やかな成功の裏で、人知れず抱えていた葛藤とは何だったのでしょうか。

「ロックと呼べない音楽は自分の”恥部”だと思っていた」

上杉さんはもともと、ガンズ・アンド・ローゼズやLOUDNESSに憧れてプロを目指したロック志向の強いミュージシャンでした。ところが、WANDS結成時にプロデューサーからロックバンドとしてのデビューを約束されていたにもかかわらず、実際の活動はデジタルポップ路線でスタート。

「デビュー時からWANDSの音楽性に合っていないと感じており、やらされている感がずっとあった」と上杉さんは振り返っています。ヒットすればするほど、自分のやりたい音楽から遠ざかっていく——。そんな矛盾を抱えながら、第一線を走り続けていたのです。

「世界中の誰よりきっと」大ヒットの複雑な思い

1992年、中山美穂さんとのコラボ曲「世界中の誰よりきっと」は累計200万枚超の大ヒットとなりNHK紅白歌合戦にも出場。しかしこのことについて上杉さんは「自分が世の中に知られるきっかけとなったのは間違いなく美穂さんとの曲があったから。感謝している」としながらも、複雑な思いが長年あったことを明かしています。

2024年12月に急逝した中山美穂さんについては「ビックリした。紅白のとき主役はもちろん美穂さんで、もしMCに振られたら助けてくださいとお願いしていた。芸能界の先輩として守ってくださったことに今でも感謝しています」と追悼のことばも述べています。

なぜ人気絶頂でWANDSを脱退したのか?本当の理由

1991年から1996年のわずか5年間で、シングル411万枚・アルバム318万枚を売り上げ、日本ゴールドディスク大賞まで受賞したWANDS。その頂点で突然脱退した理由を、時系列で整理します。

時期 出来事
1991年 WANDSとしてメジャーデビュー(デジタルポップ路線)
1992年 「世界中の誰よりきっと」(中山美穂)で紅白出場・200万枚超
1994年 「世界が終るまでは…」(スラムダンクED)120万枚の大ヒット
1995年〜 作曲も担当し始め、ロック寄りの楽曲を発表→売上が激減
1996年 グループ活動停止。上杉昇・柴崎浩が脱退

脱退の決定的な理由は、レコード会社・プロデューサーが求めるデジタルポップ路線と、上杉さん自身がやりたかったロック・グランジの音楽性との埋めがたい溝でした。

1995年ごろから上杉さんが主導してロック路線に方向転換すると、それまでミリオンを連発していたCDの売上は急激に落ち込みました。「やりたい音楽をやったら売れなくなる。でもやりたくない音楽では自分が壊れる」——そんな板挟みのなかでの脱退決断でした。

カート・コバーンの死が背中を押した

脱退を最終的に決意させたきっかけのひとつとして、上杉さんはニルヴァーナのカート・コバーンが1994年に急逝したことを挙げています。「自分のやりたい音楽をすることで作品を世の中に残したい」——その思いが、人気の絶頂期に第一線を降りる決断を後押ししたとされています。

WANDS・代表曲を振り返る【世代別早見表】

GWに久しぶりに聴き返したくなった方のために、WANDSの代表曲を一覧にまとめました。

楽曲名 リリース 備考
もっと強く抱きしめたなら 1992年 3rdシングル・オリコン1位
世界中の誰よりきっと 1992年 中山美穂とのコラボ・200万枚超
時の扉 1993年 アルバムタイトル曲・WANDS最大ヒット作
世界が終るまでは… 1994年 スラムダンクED・120万枚
Secret Night〜It’s My Treat〜 1995年 上杉主導のロック路線転換点

上杉昇の現在は?脱退後35年の軌跡

WANDS脱退後、上杉さんはどんな道を歩んできたのでしょうか。

  • 1997年:ギターの柴崎浩と「al.ni.co(アルニコ)」を結成。「TOY$!」でデビュー
  • 2001年:al.ni.co解散。自身のレーベルを設立しソロ活動へ
  • 2002年頃:スキンヘッドに大イメージチェンジ。「ロックとしての自分」を追求
  • 2007年:ロックバンド「猫騙(ねこだまし)」を結成。ライブ活動をスタート
  • 2012年:アニソンライブイベント「Animelo Summer Live」でシークレットゲストとして登場。織田哲郎と「世界が終るまでは…」を披露し大きな反響
  • 2025年7月:NTV「THE MUSIC DAY 2025」で「世界中の誰よりきっと」を32年ぶりに地上波で歌唱。中山美穂さんを追悼
  • 2025年〜:アジアツアー「世界が終るまでは…」を中国・廈門市からスタート
  • 2026年:デビュー35周年。AERAで脱退の葛藤を語るインタビューが話題に

スキンヘッドにタトゥーという、WANDS時代とはかけ離れたビジュアルに変化した時期もありましたが、現在は「WANDS時代の楽曲も柔軟に取り入れながら、自身の作曲した作品に今の思いを乗せて歌うことができる」と語っており、かつての葛藤とは別の穏やかな境地に至っているようです。

まとめ:上杉昇がWANDS脱退した理由と現在

  • ✅ 脱退理由は「音楽性の違い」——ロックをやりたいのにデジタルポップを求められ続けた葛藤
  • ✅ カート・コバーンの死が「自分の音楽を残したい」という決断を後押し
  • ✅ 人気絶頂の1996年に脱退。ロック路線への転換で売上が激減していた時期でもあった
  • ✅ 現在は猫騙のボーカルとして活動しながら、WANDS時代の楽曲も積極的に披露
  • ✅ 2026年のデビュー35周年を機に、当時の葛藤を率直に語ったことが再び話題に

30年以上ファンの心の中に生き続けてきた「なぜ上杉昇はWANDSを去ったのか」という問い。その答えは、売れることへの違和感と、本当にやりたい音楽への純粋な情熱でした。GWのこの機会に、懐かしのWANDSの曲をあらためて聴き返してみてはいかがでしょうか。